ロータリーについて

ロータリーの誕生とその成長

ポール・ハリス

 1905(明治38)年2月23日の夜、シカゴ市北ディアポーン街127番地にあるユニティビルのローアの事務所に、青年弁護士ポール・P‐ハリスが異なる職業の3人の友人を誘って、第1回の会合を開いたのがロータリーの誕生です。
 その時の3人は石炭商シルベスタ・シール、鉱山技師ガスタバス・E‐ローア、洋服商ハイラム・ショーレイでした。
ポール・ハリスを創立者と呼び、毎年2月23日を創立記念日としています。

ロータリーの名の由来

 ロータリーの名称は、各自の事務所を順番に集会を開いたことから、ふさわしい名称とされました。しかし誰れが名付親か不明であります。
後に会員数の増加と食事を共にするため、レストランで行なわれることになりました。

左から シルベスター・シール
ポール P ハリス
ハイラム E ショーレ
ガスターバス E ローア

ロータリーのマークの由来

ロータリー・マーク

 ロータリーの徴章もつくられました。初期のころは、馬車の車輪を形どった簡素なもので、文明と運動を象徴するものでした。
 この徴章は、シカゴ・ロータリークラプの会員で、彫刻家であったモンタギュー.M.ベアが1905年にデザインしたもので、初期のころは、多くのクラブが、これに少し手をくわえたものを徴章として採用していました。
 そして、1922年にロータリアンだけがつかう、統一的な徴章を正式に制定することがきまり、これに基づいて翌1923年に、歯車の形をした徴章が定められたのです。これは24枚の輸歯と6本のスポークをもつものでした。そのあとこの歯車に楔穴がつけくわえられることになりました。
 この楔穴がないと、歯車は車輪の力を伝えることができず、遊んでしまうというのがその理由です。
 この徴章の仕様は、アメリカ・テキサス州ダラスでひらかれた1929年大会で公式に定められました。色はロイヤルプルーと金色をつかうことがきめられました。さらに白地の中心に、ロータリー徴章をあしらったものをロータリーの公式旗とすることもきめられたのです。
 今日、ロータリアンのえりもとにつけられている歯車のバッジは、全世界のロータリーに共通のものであり、ロータリアンであることのあかしとし配て愛用されています。

日本のロータリー

 わが国のロータリークラプは1920(大正9)年10月20日、当時、三井銀行の重役であった米山梅吉氏が、初めて東京にこれを創立し、翌10年4月1日、世界で855番目のクラブとして加盟承認されました。
 その後第2次世界大戦の結果、一時国際ロータリーから脱退するのやむなきに至ったこともありましたが、その間もよくロータリーの精神を堅持して会合に努め、その神髄と組織を維持し、戦後国際ロータリーに復帰するや、ますます発展、現在では北は北梅道、南は沖縄まで、クラプ数2,267、会員数127,054人(11月末)に達し、なおすべての都、すべての町にその理想の翼を広げる努力を続けております。
 会員は地域内の理想にもえる堅実な実業家、専門職業人の中から定款により、1業種1人を選ぴ、週1回のクラブ例会出席によって、各種職域人の交友を通じて地域社会へのより多くの奉仕の機会を得ようとはかっております。

米山梅吉